浜プランの取組地区数

5 5 4 地区
※2023年3月末時点

尾鷲漁業協同組合(早田支所)・㈱早田大敷

早田地域水産業再生委員会

元・限界集落の若返り策!
浜を動かし、地域を変えた「早田漁師塾」

多くの漁村地域で取組まれる、次世代の担い手対策。物価の安さや豊かな自然、恵みある食材など、移住を招くための様々なアピールをするものの手応えがない、というのが多くの地域での実感ではないだろうか。三重県のある「限界集落」は、わずか10年ほどでIターン者を増加させ、大幅な若返りに成功した。劇的な変貌を見せた地域で行われた取組とは!?

目次

ノドから手が出るほど欲しい、「Iターン」

地元から都市部に移り住み、再び故郷に戻ってくる「Uターン」。故郷までは戻らず、その途中にある街に落ち着く「Jターン」。そして、都市部にいた人が全く縁のない地域に腰を据える「Iターン」。「ターン」と付くとどこかに戻るようなイメージがあるが、Iターンに限っては完全な移住を意味する。

㈱マイナビが2016年に実施した調査によれば、都市部での年収を100とすると、中国・四国は84、北信越が80、北海道・東北が79、九州が78だと言う。収入だけを見てしまうと、地方への移住は、懐が寂しくなる可能性が高い。だが、20~30代のUターン経験者に対して満足度を調査したところ、半数が「満足」と答えたという。その理由は、「家族が喜んだ」「趣味・余暇などの場・時間が充実した」など金銭面以外の部分が、精神的な満足度につながっていたそうだ。

過疎化が懸念される自治体にとってみれば、Iターン希望者はノドから手が出るほど望まれる存在だ。しかし、何の縁もない人に対して収入面でのメリットが訴えられないとすると、いったい何をアピールすればよいのか、どうやって精神的な満足を提供できるのか、その難しさは言うまでもない。

たった10年で若返った、元・限界集落

こうした課題に頭を悩ませる地区が、三重県の南部にもあった。

尾鷲(おわせ)市 早田(はいだ)町。人口は、昭和35年の678人をピークに、高度経済成長期の頃から若者が流出、平成17年には200人を割り込んだ。地区の活動を支えてきた青年団や婦人会などの自治団体も解散し、街の活気の低下にさらに拍車をかけた。

最低期の早田町の人口は約150人、世帯数90戸ほどの漁村集落で、数名の30歳代を除いて50歳以上が人口のほとんどを占め、65歳以上の人口を示す高齢化率は70%に迫る限界集落、「20年先にはこの地区は無くなってしまう」と危機感と隣り合わせだった。漁業の町として栄えた早田町は、昔ながらの伝統的な漁法によって推移して来たものの、後継者がいない状態が続けば、漁業はおろか町自体も無くなることが確実だった。

しかし、早田町は20~40代の若者が人口の半分を占めるに至る大転換を果たす。消滅さえ危ぶまれた地域が、わずか数年で大きな若返りに成功した理由はいったい何だったのだろうか。

浜の活力再生プランブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日)

早田の漁業を引き受ける、「早田大敷」

三重県の南部に位置する尾鷲市。海沿いは典型的なリアス式海岸で、尾鷲湾をはじめ多くの湾が入り組む。熊野灘を臨む沿岸には黒潮の流れる豊かな海があり、古くから定置網漁業やイセエビ漁が盛んに行われてきた。

熊野灘の深い入り江にある早田(はいだ)町も、漁業を支えとしてきた街だ。特に大型定置網漁は、この地では「早田大敷(はいだおおしき)」の名で知られる基幹漁業で、早田地区全体の水揚げの約95%を賄い、その半数以上の水揚がブリ類で占められる。ここ20年間の水揚げは500トン前後で安定して推移してきたものの、今後の担い手の不足を考えると先行きは暗かった。

そして、この早田の漁業の中心が㈱早田大敷だ。

浜の活力再生プランブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日)

街を救う自治組織、「ビジョン早田実行委員会」

高齢化による深刻な担い手不足からの転換の契機となったのは、平成21年、三重県が超高齢化地域を支援する事業を開始し、そのモデル地区として早田地区が選ばれたことだった。早田町の人々だけでなく、三重県や尾鷲市、三重大学などが連携し、多くのバックアップを得る形で、地域の再生に向けた話し合いがスタートした。

地域再生の主体となるのは「ビジョン早田実行委員会」と名付けられた地域住民で構成される自治組織だ。県や市は、ビジョン早田の取組内容に応じて関係する機関を調整すること、また各地域に情報発信する役割をもった。大学は、地域の魅力の「気づき」を独自の視点から促進すること役目をもち、地域住民からの意見の収集や分析は両者で行った。

ビジョン早田は5つの部会からなり、女性の雇用を創出する「笑顔食堂」や、耕作を放棄された地域を復活させるための「ひまわり部会」など、そして漁業再生を銘とする「漁業者部会」だ。

浜の活力再生プランブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日)

ギャップを生み出していた、従来の体験教室

漁業者部会の話し合いの中で確認されたのは、早田町の存続のためには、基幹産業である大型定置網漁、早田大敷の安定経営が不可欠ということだった。言い換えれば、漁業の担い手を確保することが、町を再生させる最重要項目として掲げられ、取組まれることとなった。

だが、実は早田町では、この事業が開始される前、平成11年から尾鷲市が行う漁業体験教室に協力しており、全国の漁村が取組むように、すでに担い手対策を進めていた。しかし実態として就業者の定着には至っておらず、まずはその問題点を洗い出すことが急がれた。

議論を通して浮き上がった点は、従来の漁業体験教室が3泊4日の短期研修であり、十分な知識や経験を得るには期間が短すぎることと、そして何よりも、その短い期間では、いざ都会からやってきても、想像していた生活イメージとの間にギャップが生じるだけで終わってしまっているのではないかと考えられた。

浜の活力再生プランブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日)

ギャップを埋める長期研修、「早田漁師塾」

研修内容の改善に向けて、議論は半年間に渡って行われた。そして、十分な基礎知識の習得と、漁村生活のギャップ解消を可能とするプログラムとして平成24年に完成したのが、「早田漁師塾」だ。

従来の「体験教室」から「塾」という形態の変更からもわかるように、早田漁師塾は、従来よりも長い期間で設けるプログラムとされた。研修期間は4週間。早田の漁村に住み込み、早田大敷以外にも様々な種類の漁業や、ロープワーク、魚の捌きかたなど、基礎知識を得るためのを経験を提供する。当然、そこで生活すること自体が、町にくるまでに想像していたイメージとのギャップを埋める重要なプログラムになる。

さらに特徴的なことは、候補者となる塾生を2~3名に限定したことにある。担い手確保を急ぐ地域にとっては多くの候補者を集めたいというのが性であるものの、講師を務める地元漁師が一人一人の塾生に十分対応できるようにし、早田町の素晴らしさを十分に伝えられるようにすることが必要だったからだ。

浜の活力再生プランブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日)

塾生を迎えるのは、塾ではなく「地域全体」

早田漁師塾の開校後、市や県による情報発信やホームページによる告知が功を奏し、Iターン、Uターンでの希望者が集まってきた。また、若手が若手の呼び水となり、さらに新規就業者が増加した。その内の一人、愛知県出身の吉田さんが早田漁師塾に参加した経緯は、次のような違いを見出したからだった。「ちょうど(漁師養成の研修を)探していたところだったが、よくある2~3日の短期のプログラムでは(実態が)わからないと思った。」

こうした理由は、まさに狙い通りだったが、「研修期間を長くする」という点だけに注目してしまうと、それほど難しいことには思えないかもしれない。だが実際は、塾生が約1か月間を充実して送れるようなプログラム作りは必須である上、塾生が寝泊まりするための住居を用意し、レストランすらない町で食事を提供する体制を整えるなど、地域ぐるみで取り組まなければ、決して成し遂げられる内容ではなかった。

地域全体で環境を整え、担い手の確保に取組んだ結果、10年前には50代以上の乗組員がほとんどを占めていた早田大敷の構成は、平成26年には逆転し、40代以下の船員によって多くが占められるようになり、大幅な若返りに成功する。

浜の活力再生プランブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日)

「就業」から「定着」のための努力

若返りを一瞬のもので終わらせないためには、まだ課題が残っていた。就業者が増加しても、彼らが定着しなければ早田の未来が良い方向に向かうことは見込めない。希望者が塾生として入校し、㈱早田大敷の社員として入社して長く腰を据えてもらうためには、会社の収益性の改善が不可欠だった。

そのために検討されたのは、以下の点だった。
・古参の乗組員から若手乗組員への操業技術の継承
・仲買業者が少ない早田魚市場から、集約市場である尾鷲魚市場に水揚げすることによる魚価向上
・鮮度保持技術や流通改革による単価向上
・現在の古い漁船漁具で行っている操業体制の見直し

浜の活力再生プランブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日)

地区全体の理解を得るために

中でも、操業体制の見直しについては、概要の説明に苦心し、地区や株主の理解が得られず難航した。そこで「浜プラン策定推進事業」を利用して、若手乗組員らで先進地区を視察し、改革のイメージを確かなものにしてから再度説明を行うこととした。

神奈川県の真鶴定置、静岡県の網代定置での視察を踏まえ、早田に必要な操業イメージを具体化し、その必要性を改めて確信した。その具体的なイメージを持って約半年を掛けて説明を続けた結果、ようやく地区全体の同意に至った。

こうした努力を経て、平成29年9月、これら改善に向けたシンボルとして位置づけられる改革型漁船「第八明神丸」が進水された。㈱早田大敷が挑む、コスト削減と魚価向上の取組は、いま行われている真っ最中だ。

浜の活力再生プランブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日)

一人の行動が、浜を変え、地域を動かす

自身も大阪府からのIターン者であり、早田大敷の漁撈長を務め、早田漁師塾の中心に立つ中井氏は、この船出を自分たちの取組に重ね合わせる。「この船は、早田大敷だけでなく早田地区全体の将来を背負った航海へと船出します。地区の各団体が、地区の存続・再生という1つの目標に向けて動き出すシンボルとなることを願っています。」

早田漁師塾はいまや、全国に渡って名の知られる漁師育成プログラムであり、また地域再生を達成した「浜の活力再生プラン(浜プラン)」だと言っても言い過ぎではない。

「浜プランを展開することが『漁村の再生』、ひいては『強い水産日本の復活』につながると、私は信じています。」中井氏によれば、「浜の活力再生」は地区住民のひとりひとりが考え、行動をおこすことでもたらされる。彼の考えの根底には、小さな動きでも、やがて大きな動きへとつながっていくという信念が感じられる。ひとりひとりが目標に向かって行動を起こすことで、賛同者を呼び、浜に改革が起き始める。次第に動きは大きくなり、地域を変え、市や県を動かし、やがて日本の水産業全体を動かしていく。

早田町から始まった取組は、水産業を揺るがすほどの動きを見せ始めている。

(執筆:2017年11月1日)

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