浜プランの取組地区数

5 8 8 地区
※2024年3月末時点

小浜市漁業協同組合

小浜地区地域水産業再生委員会

魚に新たな価値を!
連携で挑む、復活のためのサバ養殖

ブランド魚は地域にとってノドから手が出るほど欲しいものの一つに違いない。だが、あまりにそれに頼りすぎてしまうと、大きな打撃を受けることには、考えが及びにくいのかもしれない。サバの街として名高い福井県 小浜市が、サバと共に歩んできた栄光と苦労、そして地域連携で取組んだ復活の歴史をご紹介!

目次

元祖・食の国、福井県 小浜

「日本を代表する食に恵まれた都道府県」と言われたら、どこをイメージするだろう。2016年に㈱バイヤーズ・ガイドが15,000人を対象に行った調査によれば、食のイメージランキング1位は北海道、2位は大阪府、3位は福岡県と、「たしかに」と頷けるような名前が並んでいる。

では食のイメージが強い県として、福井県はどうだろうか。恐らく一般的にはそのイメージは少ないかもしれない。だが「元祖・食の国」と言っても恥じない歴史を持つのが、福井県 小浜(おばま)市だ。小浜は、食に関する教育「食育」発祥の地とされる上、食材を巡っての伝統的な歴史が語り継がれる場所だ。

浜の活力再生プラン ブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日開催)
食のイメージランキング2016

「都の台所」を知らしめた、小浜の鯖街道

この地は古来、天皇の御食料である「御贄(みにえ)」を納める国「御食国(みけつくに)」の数少ない地域の一つとして万葉集に記載されている。御食国としての役割はその後も長く続き、奈良時代、平城京跡から出土した木簡の中には、御贄を送る際に付けられる荷札が見つかり、この地を示す「若狭国」の名前が記されていた。

都を支える台所、御食国としての名を知らしめたのが、小浜から都があった京まで海の幸を運ぶための街道、通称「鯖街道(さばかいどう)」だ。道のり約80km、小浜で獲られ塩漬けにされた鯖などの海産物が、夜を徹して天皇の下に運ばれたことから、その名前がついたと言われている。

最大の課題、「サバが獲れない」

福井県の南西部に位置する小浜市。日本海で唯一のリアス式海岸を保有するこの地の漁業は、沿岸ではトラフグやマダイなどの養殖業が営まれる他、沖合では暖流に乗って訪れるブリやサワラなどの定置網漁、また深い海域ではカレイやハタハタなどを狙った底曳網漁が行われ、年間で約880トンの漁獲量を誇る。(平成27年実績)

その名を広めたサバはと言うと、小浜市では1900年(明治33年)から田烏(たがらす)巾着網漁業でサバ漁が始まった。当時は「若狭湾の底から湧いてくる」と言われるほど漁獲が盛んで、最盛期の1974年(昭和49年)の漁獲量は3,580トンにも上る実績を誇っていた。

だが、サバ漁業を営むまき網船の減少や海洋環境の変化も影響し、1986年(昭和61年)、第68田烏丸の廃業を機に1世紀近い田烏巾着網の歴史は幕を下ろす。以来、サバの水揚量は減少の一途をたどり、2014年の漁獲量は1トンほどに激減したままだった。

「小浜=サバ」という一定のイメージが定着し、「なれずし」や「焼き鯖寿司」などの料理も知られる一方で、肝心のサバそのものが獲れないという難題を抱えているのが、このときの小浜地域だった。

浜の活力再生プラン ブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日開催)

養殖サバに求められた、新しい価値

「獲れないのなら、養殖すればいいのではないか。」そう考えることもできたが、養殖にかかるコストと販売価格を考えると踏み出せずにいた。

苦しい状況を好転させたのは、2015年、小浜市の鯖街道をはじめとする歴史や文化に価値が見いだされ、文化庁が設ける「日本遺産」の国内第1号に認定されたことだった。小浜のサバに新たな脚光が当たるチャンスだと捉え、サバ養殖の先進地への視察を実施、新魚種として小浜のサバ「よっぱらい鯖」の養殖に踏み切った。

しかし、養殖により漁獲量が増えたとしても、それをどういう形で消費者にお披露目するかは、また別の問題だ。それまで小浜のサバは、その歴史から伝統的な料理方法を中心に提供され、全国的に見てもすでに一目置かれている存在だった。だからこそ、以前と同じ商品形態で提供してしまうと、単純に養殖コストを上乗する形で提供するしかない。ただでさえ一般には大衆魚として知られるサバだからこそ、目に見える形で新しい価値をサバに与える必要があった。

文化庁 日本遺産について
浜の活力再生プラン ブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日開催)

コストを「付加価値」に変える発想

新たに掛かる養殖コストを「付加価値」として見てもらうためには、今までにはないプレミアム感が必要だった。そこで出された答えは、一般的にはまだ浸透していないものの、食通が「美味い」と口をそろえる刺身での提供だ。刺身という新たな商品にさらに鯖街道のストーリー性も付与すれば、今までより値段を付けても食べてもらえるのではないかと考えた。

漁業者だけでなく市や大学など関係者の思いから、サバの刺身は、観光客をターゲットに提供しようと決められた。小浜地域にとってサバは、単に収益を目的とした商品ではない。観光商材としてのサバを通してその歴史を知ってもらい、小浜に来てもらことができてはじめて、地域に貢献できると考えていたからだ。

こうした思いから小浜の浜プランでは、養殖方法や管理方法はもちろん、お客様への提供、PRなどの活動も含め、市が中心となりながら、産学官の地域に根差す関係者が連携する体制で取組まれている。

浜の活力再生プラン ブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日開催)

妥協のない味と品質は、連携から生まれる

漁協に所属する漁業者は、試験養殖に加え、基礎データ収集などを実施。大学は、過去の研究に基づいた助言を行う他、味の改善のため餌の成分配合を検討することなども手掛ける。小浜のサバが「よっぱらいサバ」とも呼ばれるのは、餌に酒粕をいれていることからで、大学はその割合の決定に貢献している。また高校の生徒を主体として、活け締めなど鮮度保持技術の検証を行い、栽培センターは養殖全般のサポートを行っている。こうした連携を支え、調整を図る役割をもつのが小浜市の存在だ。

さらに、商品化にあたって重要な役割を果たすのが、㈱鯖や だ。消費者と相対する立場にある鯖やは、サバ料理を提供するだけでなく、最高の状態のサバを提供するために、科学的にも、調理的にも精度の高い生食ガイドラインの策定に取り組んでいる。

各自が役割を果たすだけでなく、全体としても活動を行っている。毎月サンプリング調査を実施し、サバの骨に含まれるカルシウム量、身のたんぱく質量などを集計するほか、内臓を調べてアニサキスなどの寄生中が存在しないことを確認するなど、安心安全で高品質なサバの提供に妥協がない。

浜の活力再生プラン ブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日開催)

美味しさを生む、愛情を込めた養殖

抜かりない産学官連携に加え、小浜のサバで何よりこだわられるのが「愛情を込めた飼育」だ。養殖を手掛ける漁業者 浜家直澄さんは、サバの声なき声を聞くため、毎日サバに語りかける。「大きくなれよー!」「たくさん食べなよー!」、日々、港には浜家さんの声が響き渡る。

2016年の取組初年度、石川県からの300g程度のピンサバ1,000尾を購入し、11月までの5か月間をかけて600gほどに飼育し、販売した。予想を大きく上回る反応があり、わずか1か月で完売した。生残率も87%と、他と比べても高い水準だった。市内の飲食店などに販売し、「脂のノリが適度」と味も好評だった。

今年2017年は、8,000尾で養殖を開始。一部の生簀では、年末商品向けに酒粕を餌にした「よっぱらい鯖」の試験飼育が行われている。

浜の活力再生プラン ブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日開催)

小浜のサバを知らせる努力

PR活動にも余念がない。初年度は、「さばサミット」など各種催事でのお披露目イベントの開催や、巨大なサバのイラストをあしらったラッピングバス「サバス」の運行、11:38(”いいさば”)の時間に小浜市長による「鯖を愛するまち」宣言を行うなど、広告宣伝活動に注力した。

今年に入ると、小浜と鯖街道をテーマにした飲食店であり、情報発信拠点である「SABAR鯖街道」を大阪阪急、東京銀座、京都烏丸に次々オープンするなど、都市圏へのPR活動も積極的に行っている。

浜の活力再生プラン ブロック推進会議 事例報告資料(2017年10月2日開催)

サバの復活は、地域の誇り

「小浜のサバは、現代の技術によって復活した。」多くの先進的な取組を進め、新魚種としての養殖サバによって、地域は再び盛り上がり始めている。

だが、小浜市漁業協同組合 参事 樽谷宏和氏は、その恩恵が先人にあることを忘れない。1世紀ほど前、サバ巾着網が誕生したのも、そして30年前に廃業に追い込まれたのも、ここ田烏地区だ。「巾着網の故郷で、養殖という形でサバが復活したことは、田烏の人たちにとって誇りであり、喜びです。先人たちの偉業を後世に伝えていくこと、養殖のサバを守り、育てることが私たちの使命なのです。」

田烏や小浜の漁業者にとってサバ養殖をはじめとする漁業は、単なる生産手段でもなければ、金儲けの手段でもない。先人が作り上げてきた歴史の重みを感じる場であり、これから自分たちが守るべきものに対する責任を認識する場だ。漁業に支えられてきた街だからこそ、小浜地域の関係者が一体になって漁業の復活、地域の再生に取組む。浜プランとして取組むことができる数年間の内に環境を整え、その後の世代でも継続して取り組めるよう、未来の素地を作っておきたいという熱い思いがある。

産官学の垣根を越え、自分たちが歴史を守り未来の文化を作っていくという強い意志がある者たちが集まったことこそが、小浜地区の浜プランの何よりの成功要因ではないだろうか。

(執筆日:2017年11月1日)

関連リンク